箱根七湯と堂ヶ島渓谷遊歩道 ― 消えた温泉と道の記憶
箱根登山電車を宮ノ下で降りた瞬間、山肌を染める秋の光に包まれる。
ここはかつて『箱根七湯』と呼ばれた温泉郷のうち、
宮ノ下・堂ヶ島・木賀・底倉の4湯に近い場所だ。
2025年11月1日(土) この日の目的は箱根の古い湯治場箱根七湯と、そのアクセスのために開かれた“温泉道”の痕跡を確かめることだ。
堂ヶ島温泉と堂ヶ島渓谷遊歩道
地図の上では確かに存在する地名「堂ヶ島温泉」。
しかし、そこへアクセスする車道は今は存在しない。
歴史的な温泉地は今はどうなっているのだろうか。
箱根湯本駅で配布されていた地図を片手に 堂ヶ島渓谷遊歩道 へ向かってみた。

堂ヶ島渓谷遊歩道の入口には、「熊に注意」の看板と、「町道通れます」と書かれた札。

道は次第に細くなり、やがて階段の道となって、車両は通れなくなる。

そして、沢沿いの湿った小径へと変わっていく。

やがて左右に現れたフェンス。遠くを見ると橋があるが、そこへの道は途切れていた。
あの古い橋の向こうには、近年まで2軒ほど営業していたという、堂ヶ島温泉の旅館があったのだろう。

「夢想橋」を渡り、夢想国師閑居跡への分岐から先は完全な「登山道」になった。
歩く場合は、山歩きに適した靴を履く必要があるだろう。携帯の電波も弱い。
険しい道を進むと、東電川久保発電所に至った。
この沢沿いの小径が維持されるのは、少なからずこの発電所の存在が影響しているのかもしれない。



底倉・木賀・宮ノ下温泉
吊り橋を渡り、底倉へ抜けた。
このあたりは底倉温泉の中心地で、木賀温泉の入口でもある。
強羅・仙石原方面へ向かうバス通りで、車の交通量は多い。
しかし、歩く人の数は少ない。
旅館らしき建物が2軒ほど見られるが、今は営業していないようだ。
かつて『箱根七湯』と呼ばれた湯治の中心地も、今やその湯に浸かることすら難しい。
10分ほど歩けば宮ノ下温泉に戻る。
「ホテル前バス停」ここは明治期創業の登録有形文化財、富士屋ホテルの前にして箱根登山バスの分岐点。
ここは今でも観光客で盛況のエリアだ。
箱根観光も江戸時代とは根本から違う。
今度、箱根に行くのだと知人に話した。
皆、一度や二度に訪れた経験があるもので、思い出を語ってくれた。
しかし彼らは、口を揃えて「強羅」「大涌谷」「芦ノ湖」の話をする。
「堂ヶ島」や「底倉」という地名を知るものはほぼ皆無であろう。
やはり、「箱根ゴールデンルート」に含まれるか、含まれないかで明暗別れたのであろう。
芦之湯温泉へ
ホテル前バス停から伊豆箱根バスに乗って東芦之湯で下車した。
かつて庶民の湯治場だったこの地は、今では静かな高級宿の並ぶ山里となっていた。
少し歩くと『山形屋』さんという元旅館の湯が、無人の日帰り湯として開かれていた。
Google Mapには「玄人向け温泉」とある。
どんな湯なのか気になり、入ってみることにした。

館内は撮影禁止ということなので写真は撮っていないが、元旅館の内装が独特の雰囲気を醸し出している。
受付は無人だが、
本日の浴槽内の温度
男湯 42.6℃ AM8:00
女湯 42.3℃ AM8:00
と書いてある。毎日朝に主人が来て手入れしているのであろう。
貯金箱に500円入れて館内へ。
薄暗い廊下を抜け、誰もいない浴槽に浸かると時間が止まったような静けさに包まれた。
泉質は良好であった。
もちろん虫や汚れなどは浮いていない。古くても清掃されているのだ。
旅館の営業を終えても、毎日手入れを続けてくださるおかげで、今も素晴らしい湯に浸かることができる。
それは利用者のマナーによるところも大きい。
きれいに使い、この湯を残していきたいと思う。
かつての温泉道は「国道1号線」
帰りの箱根登山バスは観光客で満員すし詰め状態だった。
かつて『温泉道』と呼ばれた道は、今では国道1号線。
3連休の初日は大渋滞だ。
しかし「沢沿いの道」という地理事的条件は、午前中に歩いた 堂ヶ島渓谷遊歩道 に近い。
つまり、この道も、江戸時代以前は、あのように細く険しい小径だったのだろう。
安定の箱根湯本

湯本に戻ると、そこは別世界。
箱根七湯、最古の湯本温泉も、今では箱根観光の玄関口だ。
観光客の波、立ち並ぶ飲食店、まんじゅうを蒸す湯気。
「温泉道」は今も、形を変えて息づいている。
蕎麦屋で地ビールと、ワカサギの天ぷら、そしてざるそばを食べた。
とても美味かったのは「歩き疲れた足と心へのご褒美」というだけでは決してないだろう。


感想・結び
堂ヶ島遊歩道の現状、消えた堂ヶ島温泉、静かな芦之湯、そして賑わう湯本。
同じ「箱根七湯」でも、そこには時間の流れ方の違いがあった。
人が離れ、道が途絶え、湯が湧かなくなっても、
土地の記憶は、消してはならない。
地図の上に残る小さな地名、そこを目指して山道を歩くことも、きっと意味のあることだろう。